「親なんだから、感謝しなきゃいけない」
「育ててもらったんだから、文句を言うのはおかしい」
そんな言葉を、私は何度も飲み込んできた。
でも大人になった今、はっきり思う。
あれは、しつけでも愛情でもなかった。
これは、毒親に育てられて嫌だった私の実体験だ。
もしあなたが、同じような思いを胸の奥にしまって生きてきたなら、
「自分だけじゃなかった」と、そっと感じてもらえたら、それでいい。
そもそも毒親とは何か
毒親とは、
子どもの心や尊厳を守らず、
無自覚のまま傷つけ続ける親のことだと思う。
殴ることだけが虐待じゃない。
怒鳴らなくても、
「あなたの気持ちは重要じゃない」という態度は、確実に心を削る。
恐怖で従わせること。
感情のはけ口にすること。
子どもの話を信じないこと。
意思を尊重しないこと。
それが日常なら、
子どもは「これが普通」だと思って育ってしまう。
私は、そういう環境で育った。
大人になって、友人の結婚式に参加したとき、「私は家族に愛されて育って、親には感謝しています。」という人たちにとても驚いたのを覚えている。
私は、そんなこと言えただろうか。
家族の愛ってなんだろう。無条件の愛ってなんだろう。
そんなことばかり、考えていた。
毒親に育てられて辛かったエピソード

① 言うことを聞かなかったら、冬のベランダに出されて閉じ込められた
ほんの少し、言い返しただけだった。
自分の意見を言った、それだけのことだった。
季節は冬だった。
気づいたら私は、家の中からベランダへ押し出されていた。
ガラス戸が閉まり、カチャリと音がして、鍵がかかる。
外は冷たく、空気が痛かった。
裸足の足の裏から、冷えがじわじわと上ってくる。
吐く息が白くなるのを、ぼんやり見ていた。
私は何度もガラスを叩いた。
「ごめんなさい!」
「あけて!」
声が震えて、うまく出なかった。
中を見ると、親と何度も目が合った。
確かに、見られていた。
それでも、無視された。
あの時間がどれくらいだったのかは覚えていない。
ただ、
寒さよりも、「見捨てられた」という感覚のほうが、ずっと強く残っている。
やっと鍵が開いて中に入れてもらえたあと、
私は安心する間もなく、こう言われた。
「アンタが言うこと聞かないから、
こんなことしなくちゃいけないのよ」
謝っていたのは、私のはずだった。
でも、責められていたのも、私だった。
あのとき学んだのは、
「意見を言うと、居場所を失う」ということ。
家にいられない。
それは子どもにとって、
存在そのものを否定される体験だった。
② 毎日、親同士の愚痴を聞かされていた
家の中では、いつも誰かの悪口が流れていた。
父の文句。
母の不満。
仕事の愚痴や、相手への怒り。
私は黙って聞いていた。
言い返すことも、話を逸らすこともできず、
ただ相槌を打ちながら、その場をやり過ごしていた。
ネガティブな言葉が投げられるたび、
この人たちの人間の器の小ささに、心のどこかで嫌気がさしていた。
子どもなのに、
「今はどんな反応が正解か」
「どちらの機嫌を損ねないか」
そんなことばかり考えていた。
本当は、
親の感情を受け止める役割なんて、
子どもが背負うものじゃない。
でも私は、
安心できる居場所の代わりに、親の負の感情のゴミ箱となっていた。
③ 親のご飯より、給食の方が美味しかった
朝ごはんは菓子パン。
夜ごはんはコンビニ弁当。
※誤解してほしくない。
菓子パンやコンビニ弁当を否定したいわけじゃない。
ただ、
誰かが「私のために用意してくれたご飯」が、ほとんどなかった。
給食は温かかった。
同じ時間に、みんなで席について、
「いただきます」を言って食べる。
お皿があって、スープがあって、
「あなたの分ですよ」と用意されている感じがした。
大学生になって、学食が3食あるのも驚いた。うちは、3食食べられない日もあったからだ。
同級生は、学食はマズイといっていた。でも、3食もあって、主菜にごはん、味噌汁もあるなんて贅沢だった。
今思えば、必要だったのはごはんじゃない。
大切にされている、という感覚だった。
④ 夜中も、親がいなかった
夜中に目が覚めると、
家の中は静まり返っていた。
時計の音だけがして、
どこにも人の気配がない。
怖くても、寂しくても、
呼ぶ相手はいなかった。
布団の中で、息をひそめるようにして朝を待った。
泣くことも、甘えることも、できなかった。
この頃から私は学んだ。
「頼らないほうがいい」
「期待しないほうが傷つかない」
人に頼れなくなったのは、
私の性格の問題じゃない。
そう生きるしかなかった環境の結果だった。
⑤ いじめられたと伝えたら「アンタが悪い」と言われた
学校に行くのが、少しずつ怖くなっていった。
ある日、下駄箱を開けたら、
入れていたはずの上履きがなくなっていた。
探しても見つからず、周りの視線だけが刺さった。
別の日には、
机の中に入れていたノートが消えていた。
授業中、書くものがなくて、ただうつむくしかなかった。
好きだった趣味のことを話したら、笑われた。
「変だよね」「ダサいよね」
そう言われて、もう何も話したくなくなった。
小さなことのようで、
毎日積み重なると、心がすり減っていく。
それでも私は、
「これは自分だけで抱えるものじゃない」と思って、
勇気を出して親に話した。
でも返ってきたのは、
「アンタが悪いんでしょ」
その一言だった。
この人は、
私の話を信じない。
私の味方にはならない。
ここで、親子の信頼は決定的に壊れた。
それ以降、私は親に助けを求めなくなった。
もしかして毒親?チェックリスト

ここまで読んで、
「これって普通じゃなかったのかもしれない」
そう感じた人もいるかもしれません。
次は、無理に答えを出すためのものではなく、
自分の過去をそっと振り返るためのチェックリストです。
- 子どもの話を最後まで聞いてもらえなかった
- 意見を言うと否定された、黙らされた
- 親の機嫌によって態度が変わった
- 親の愚痴や悩みを聞く役をさせられていた
- 困ったときに相談すると責められた
- 家に安心できる空気がなかった
- 大人になっても親に本音を話せない
当てはまるなら、
あなたは甘えているのではなく、
ちゃんと傷ついてきたということ。
そして今はもう、自由になっていい

親にも頼れず、
心も開けず、
ずっと一人で十字架を背負ってきたあなたは、
もう十分すぎるほど耐えてきた。
親の機嫌をうかがうために。
親の期待に応えるために。
親の呪縛に、あなたの人生を捧げる必要はない。
あなたが親になるなら、
「こんな親にはならない」と、きっと強く思うだろう。
もし親にならないとしても、
傷つけられた分だけ、
人の痛みに気づける優しさを、もう持っている。
壊れたのは、あなたじゃない。
壊れていたのは、環境だった。
このブログが、
あなたの心にかかっていた枷を、
そっと外すきっかけになりますように。
そして今度こそ、あなた自身の人生を、生きていい。


