毒親に育てられて辛かったエピソード5選 | 毒親チェックリスト付き

「親なんだから、感謝しなきゃいけない」
「育ててもらったんだから、文句を言うのはおかしい」

そんな言葉を、私は何度も飲み込んできた。

でも大人になった今、はっきり思う。
あれは、しつけでも愛情でもなかった。

これは、毒親に育てられて嫌だった私の実体験だ。
もしあなたが、同じような思いを胸の奥にしまって生きてきたなら、
「自分だけじゃなかった」と、そっと感じてもらえたら、それでいい。


目次

そもそも毒親とは何か

毒親とは、
子どもの心や尊厳を守らず、
無自覚のまま傷つけ続ける親のことだと思う。

殴ることだけが虐待じゃない。
怒鳴らなくても、
「あなたの気持ちは重要じゃない」という態度は、確実に心を削る。

恐怖で従わせること。
感情のはけ口にすること。
子どもの話を信じないこと。
意思を尊重しないこと。

それが日常なら、
子どもは「これが普通」だと思って育ってしまう。

私は、そういう環境で育った。

大人になって、友人の結婚式に参加したとき、「私は家族に愛されて育って、親には感謝しています。」という人たちにとても驚いたのを覚えている。

私は、そんなこと言えただろうか。

家族の愛ってなんだろう。無条件の愛ってなんだろう。

そんなことばかり、考えていた。


毒親に育てられて辛かったエピソード

① 言うことを聞かなかったら、冬のベランダに出されて閉じ込められた

ほんの少し、言い返しただけだった。
自分の意見を言った、それだけのことだった。

季節は冬だった。

気づいたら私は、家の中からベランダへ押し出されていた。
ガラス戸が閉まり、カチャリと音がして、鍵がかかる。

外は冷たく、空気が痛かった。
裸足の足の裏から、冷えがじわじわと上ってくる。
吐く息が白くなるのを、ぼんやり見ていた。

私は何度もガラスを叩いた。
「ごめんなさい!」
「あけて!」

声が震えて、うまく出なかった。

中を見ると、親と何度も目が合った。
確かに、見られていた。
それでも、無視された。

あの時間がどれくらいだったのかは覚えていない。
ただ、
寒さよりも、「見捨てられた」という感覚のほうが、ずっと強く残っている。

やっと鍵が開いて中に入れてもらえたあと、
私は安心する間もなく、こう言われた。

「アンタが言うこと聞かないから、
こんなことしなくちゃいけないのよ」

謝っていたのは、私のはずだった。
でも、責められていたのも、私だった。

あのとき学んだのは、
「意見を言うと、居場所を失う」ということ。

家にいられない。
それは子どもにとって、
存在そのものを否定される体験だった。


② 毎日、親同士の愚痴を聞かされていた

家の中では、いつも誰かの悪口が流れていた。

父の文句。
母の不満。
仕事の愚痴や、相手への怒り。

私は黙って聞いていた。
言い返すことも、話を逸らすこともできず、
ただ相槌を打ちながら、その場をやり過ごしていた。

ネガティブな言葉が投げられるたび、
この人たちの人間の器の小ささに、心のどこかで嫌気がさしていた。

子どもなのに、
「今はどんな反応が正解か」
「どちらの機嫌を損ねないか」
そんなことばかり考えていた。

本当は、
親の感情を受け止める役割なんて、
子どもが背負うものじゃない。

でも私は、
安心できる居場所の代わりに、親の負の感情のゴミ箱となっていた。


③ 親のご飯より、給食の方が美味しかった

朝ごはんは菓子パン。
夜ごはんはコンビニ弁当。

※誤解してほしくない。
菓子パンやコンビニ弁当を否定したいわけじゃない。

ただ、
誰かが「私のために用意してくれたご飯」が、ほとんどなかった。

給食は温かかった。
同じ時間に、みんなで席について、
「いただきます」を言って食べる。

お皿があって、スープがあって、
「あなたの分ですよ」と用意されている感じがした。

大学生になって、学食が3食あるのも驚いた。うちは、3食食べられない日もあったからだ。

同級生は、学食はマズイといっていた。でも、3食もあって、主菜にごはん、味噌汁もあるなんて贅沢だった。

今思えば、必要だったのはごはんじゃない。
大切にされている、という感覚だった。


④ 夜中も、親がいなかった

夜中に目が覚めると、
家の中は静まり返っていた。

時計の音だけがして、
どこにも人の気配がない。

怖くても、寂しくても、
呼ぶ相手はいなかった。

布団の中で、息をひそめるようにして朝を待った。
泣くことも、甘えることも、できなかった。

この頃から私は学んだ。
「頼らないほうがいい」
「期待しないほうが傷つかない」

人に頼れなくなったのは、
私の性格の問題じゃない。
そう生きるしかなかった環境の結果だった。


⑤ いじめられたと伝えたら「アンタが悪い」と言われた

学校に行くのが、少しずつ怖くなっていった。

ある日、下駄箱を開けたら、
入れていたはずの上履きがなくなっていた。
探しても見つからず、周りの視線だけが刺さった。

別の日には、
机の中に入れていたノートが消えていた。
授業中、書くものがなくて、ただうつむくしかなかった。

好きだった趣味のことを話したら、笑われた。


「変だよね」「ダサいよね」

そう言われて、もう何も話したくなくなった。

小さなことのようで、
毎日積み重なると、心がすり減っていく。

それでも私は、
「これは自分だけで抱えるものじゃない」と思って、
勇気を出して親に話した。

でも返ってきたのは、


「アンタが悪いんでしょ」


その一言だった。

この人は、
私の話を信じない。
私の味方にはならない。

ここで、親子の信頼は決定的に壊れた。

それ以降、私は親に助けを求めなくなった。


もしかして毒親?チェックリスト

ここまで読んで、
「これって普通じゃなかったのかもしれない」
そう感じた人もいるかもしれません。

次は、無理に答えを出すためのものではなく、
自分の過去をそっと振り返るためのチェックリストです。

  • 子どもの話を最後まで聞いてもらえなかった
  • 意見を言うと否定された、黙らされた
  • 親の機嫌によって態度が変わった
  • 親の愚痴や悩みを聞く役をさせられていた
  • 困ったときに相談すると責められた
  • 家に安心できる空気がなかった
  • 大人になっても親に本音を話せない

当てはまるなら、
あなたは甘えているのではなく、
ちゃんと傷ついてきたということ。


そして今はもう、自由になっていい

親にも頼れず、
心も開けず、
ずっと一人で十字架を背負ってきたあなたは、
もう十分すぎるほど耐えてきた。

親の機嫌をうかがうために。
親の期待に応えるために。
親の呪縛に、あなたの人生を捧げる必要はない。

あなたが親になるなら、
「こんな親にはならない」と、きっと強く思うだろう。

もし親にならないとしても、
傷つけられた分だけ、
人の痛みに気づける優しさを、もう持っている。

壊れたのは、あなたじゃない。
壊れていたのは、環境だった。

このブログが、
あなたの心にかかっていた枷を、
そっと外すきっかけになりますように。

そして今度こそ、あなた自身の人生を、生きていい。

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